【あいうえおぶせ】 き号 きのしたはるき(木下晴稀)
きのしたはるき
【木下晴稀】小布施町・伊勢町
木下晴稀。17歳。高校3年生。
中学からスラックラインを始め、
たった2年で世界王者に登り詰めました。
そして、アジア人初、
レッドブルとスポンサー契約。
そんなことってあり得るの!?
彼の軌跡と強さの秘密に迫ります!
記念大会で初代チャンピオンに
2016年6月。小布施に大きなニュースが飛び込みました。「木下晴稀、スラックライン世界大会優勝」。当時、彼は16歳の高校2年生。スラックラインを本格的に始めて、わずか2年で世界の頂点に到達したのです。
スラックラインとは、 ベルト状のラインを利用したスポーツの一種。地上から1メートルほどの高さに張った、わずか5センチ幅のラインの上に立ち、ジャンプをしたり宙返りをしたりとアクロバティックな技を決めていきます。小布施には、もともと浄光寺の林映寿副住職が寺の敷地に365日、誰でも利用できるスラックラインパークをつくり、町内外の人に親しまれている環境が整っていました。町内には「小布施スラックライン部」が立ち上がり、いまや小布施中学では体育の授業にもスラックラインが採り入れられているほど。競技を楽しむ土壌が培われています。
そんななかで育った晴稀くんが世界一に輝いたイベントは、アメリカ・テキサス州オースティンで行われた「X-GAMES 2016オースティン」。BMXやスケートボードなどのエクストリームスポーツを集めた大会で、スラックライン部門は初採用でした。つまり、記念すべき国際大会で、彼は初代王者になったのです。
小布施の恵まれた環境が一番の強み
晴稀くんが競技を始めたのは中学生の頃。当初はラインに立つことすらできず、全く楽しめなかったと言います。それに、当時は部活で野球に打ち込んでいたため、浄光寺スラックラインパークに通うことはありませんでした。
しかし、次第に周囲が上達すると、挑戦したい気持ちがふつふつと湧いてきて、少しずつ浄光寺に通うように。そして、ライン上で歩けるようになって技も決められるようになると、一気にのめり込んでいきました。さらに、初出場した大会で予選敗退した悔しさもバネになり、中学3年の秋に野球部を引退してからはスラックラインだけに専念しようと決意。こうなると、まさに「好きこそものの上手なれ」。技に対する恐怖心もなくなり、youtubeで見つけた新しい技ができるようになるとさらに喜びは増し、夢中になっていきました。
そんな晴稀くんに上達するコツを尋ねると「練習量」という答えが。
「毎日、2時間は練習をして、世界大会前は昼食持参で朝から晩まで練習をしています。でも、それができるのは小布施に恵まれた環境があるから。国内にはなかなか常設のスラックラインパークはないので、浄光寺は日本一の施設だと言われていて、いつでも練習ができるのが僕の強さの秘訣です」
いまはどんどん競技人口が増えて世界のレベルが上がっていますが、「他の人を真似しても強くはなれない」と晴稀くん。練習では常に自分ができる最高の技を高確率で美しく成功できるよう考えて臨み、跳躍中は脚の閉じ方など細部にまで注意を払って鍛錬する日々です。
いずれはオリンピック競技へ!
「X-GAMES 2016オースティン」で優勝した当時を振り返ると、「嬉しさよりも驚きが大きくて、最初は実感がなかった」という晴稀くん。しかし、帰国後、反響の大きさに優勝の手応えを実感したのだそう。競技中は歓声を自分への後押しと考えて挑むことで緊張を打ち消したと言うから、その度胸に驚きます。
ちなみに、大会は1対1のトーナメント方式で行われ、計2分の持ち時間内で交互に技を披露。難易度や完成度が審査され、観客をいかに盛り上げたかも重要なポイントになります。晴稀くんはこうしたパフォーマンス中、相手の技を見て臨機応変に自分が繰り出す技を変えているのだとか。選手のなかには競技前に披露する技を決めている人もいるそうですが、晴稀くんはラインに乗る直前にパッと決めると言います。こうした「本番の強さ」も、彼の強みでしょう。
そして、今年の4月からはオーストラリアの清涼飲料水メーカー「レッドブル」とスポンサーシップ契約を結び、「レッドブル・アスリート」としても活躍。これまたアジア人初の快挙です。この契約によって、プロとしての自覚や普段の生活から見られていることへの意識、練習への意欲も高まったと話します。レッドブル社からは飲料の提供はもちろん、大会や取材の際の衣装や渡航費の支給もあるというから、彼に対する同社の期待の高さも伺えます。
そんな晴稀くん、高校卒業後は選手として本格的にスラックラインの道を進むつもりです。
「いけるところまでアスリートとして頑張り、いずれはスラックラインを仕事にできたらいいですね。海外の高校生はプロ契約をすると学校に行かずスラックラインをする生活ができています。日本ではまだまだマイナーなスポーツなので、もっと自分がアピールしていかなければいけないと思っています」
そのためにも、9月に小布施で開催されるスラックラインワールドカップでは、多くの人に見に来てほしいと晴稀くん。そう、なんと小布施でワールドカップが行われるのです!
「どんな大会でも、いつも『楽しむ』ことを課題に出場していますが、今回は自分の故郷で行われるワールドカップなので、いつも通り全力を出して楽しみ、あわよくば優勝できると嬉しいですね」
さらに今後はさまざまなイベントに出場してもっと有名になり、競技人口を増やすことで、いずれはスラックラインがオリンピック競技に選ばれること、そして日本代表として優勝することが彼の夢です。
「スラックラインはやっている人も見ている人も楽しめるスポーツなので、まずは多くの人にこの競技を知ってもらいたいですね。浄光寺スラックラインパークは誰でも気軽に低いラインから始められますし、初めてでわからないことがあればみんなが教えてくれます。まずは見て、体験してみてください」
屈託のない笑顔で将来の夢や希望を話すその生き生きとした様子に、無限の可能性を感じずにはいられません!
木下晴稀
2000年小布施町生まれ。17歳、中野立志館高校3年生。両親が浄光寺の林映寿副住職と仲がよかったことから、中学生のときにスラックラインを初体験。中学3年で部活の野球部を引退したことから本格スタート。2015年、ドイツで開催された「ワールドマスターズ」出場ベスト8。2016年「X-GAMES 2016オースティン」優勝。2017年4月、アジア人初の「レッドブル・アスリート」契約。好きな食べ物は冷凍みかん。