【あいうえおぶせ】 く号 小布施栗談議
小布施町をあいうえお順に紹介するフリーペーパー、小布施辞典「あいうえおぶせ」。これまでに刊行されたバックナンバーから、おぶせじん編集室が選りすぐった記事をお届けします。
今回は「く」号から「小布施栗談議」をご紹介します。
小布施を語るうえで外せない栗。でも、実は案外知っているようで知らないと思いませんか? そこで、まずはその生産を支える栗農家さん−町内随一の生産量を誇る栗農家の平松幸明さんと、新規就農をした小林茂久さん、結婚を機に栗農家になった荒井正晴さん−の3人に、農家ならではの目線で、栗についてのあれこれを大きな栗が実る秋の栗畑の真ん中で話し合っていただきました。
栗農家3人による対談
さて、今回対談をお願いした平松幸明さんは代々続く栗農家の13代目で、観光協会長や農協の栗部会長を務めた経験ももつ栗農家のリーダー的存在です。対して小林茂久さんと荒井正晴さんは移住者で、小林さんは母方の実家の後継問題のために、荒井さんは妻の実家の農業を継承すべく栗農家になりました。
荒井さん
3人の中でもっとも若手の荒井さんは埼玉県出身。奥さまとの結婚を見据えて小布施に移住するまでは、まちのことをほとんど知らなかったそう。
「こっちに来て知ったのは、小布施といえば本当に栗だということ。移住後はまず栗菓子屋に就職したのですが、栗を求めて小布施に来る観光客も多く、余計に栗の大切さを実感しました」
現在は奥さまの実家の農業を後継し、奥さまとご両親の4人で農業を営んでいます。
「うちは果樹もつくっていますが、秋になると気になるのはやはり栗。栗菓子屋ではこの時期に1年分の栗を加工するので、栗の出来具合で栗菓子屋の製品が決まります。だから、いい栗を生産したい思いは強いですし、自分で作った栗がこのまちを訪れる人に喜んでもらえているのは生産者としてやりがいがあります」
小林さん
東京出身で、幼少期から母方の実家がある小布施を訪れていた小林さんは、サラリーマン生活を経て栗農家になりました。
「祖父が農業をやっていましたが、高齢でうまく働けなくなって休日に手伝いに来ていました。そして祖父が他界すると後継問題が発生。次男の僕は、家を続けていくことが祖父の意志ならそれを叶えたい思いがあって、小布施に移住しました」
奥さまは一般企業に就職しているため、基本はひとりで農業をしている小林さん。
「栗は品種も栽培方法も販売方法も多種多様。それに他の作物に比べ面積あたりの収穫量が少ない分、やり方次第でこれだけ結果が変わる作物もありません。だから栗は面白いですよ」
平松さん
平松さんは高校卒業後、父親の勧めで長野県農業大学校に進学し、その後は父親の知人や叔父のつてでニュージーランドやオーストリアで農業研修を積みました。
「もともと家業を継ぐつもりはなかったのに、大学で講師から大人同然の扱いをされたり、同級生とのやりとりが楽しくて、農業もいいものだと思うようになりました。それに、知り合いの料理研究家が日経新聞の夕刊コラムにうちの栗を紹介してくれ、通信販売を求める電話が鳴り止まない様子を見て、農業も面白いかもと感じたんです」
そして、海外研修後はすっぱりと栗農家になりました。
栗ほど情報が少ない
農作物はない
こうして三者三様の経緯で栗農家になった3人ですが、口を揃えて言うのは「栗栽培は奥が深い」ということ。
「小布施の栗はこの10年間、新潟から栗栽培名人を講師として招き、やっと管理がしやすく安定的な収量を確保できる低樹高栽培の剪定が定着しました。でも去年、その講師の方に『枝を切っても思い通りに伸びるとは限らないよね』と聞いたら『限らない』と(笑)。こういう人でもそうなんだと安心した反面、剪定で思い通りに枝を伸ばせるようになれたらすごいことだと思いました。でも実際、木は生き物だから思うようにはならない。特に栗は、栽培者が多いりんごなどの果樹と違って研究が進んでいないのでいろいろな栽培方法がありますし、結局、栗の収穫は落下したものを拾うのだから、どの枝にどんな栗が実っていたかわからず長年の感覚で推測するしかないんです(平松さん)」
それに、栗好きはマニアックな人が多いと小林さん。
「問い合わせ内容も、そんなこと知らないよっていうエグいものが来ますよ(笑)。でも、小布施は栗菓子屋さんがしっかりと知識をもっています。そこから学べるのは大きいですね(小林さん)」
教えて!「栗農家あるある」
ところで収穫期、栗農家は午前中に栗を拾い、午後は選果をしています。なぜなら日に照らされた栗は乾燥してツヤがなくなるから。
「コンテナの栗の中に手を入れると熱で暖かいんです。こうして蒸れると品質低下になるので、朝の涼しいうちに拾うのがいいんです(平松さん)」
では、そんな「栗農家あるある」ネタってあるのでしょうか。小林さんによると「最近は低樹高栽培なので乗用草刈機で草を刈っていると、下がった枝のイガが背中に当たって痛いんです」とのこと。そんな話をしていると、なんと小林さんの背中に栗が落下! 「自分の畑でもこんな経験ない!」そうですが、栗拾いには常に危険が伴うと感じた瞬間でした……。
また、荒井さんによると収穫最盛期は拾うそばから栗が落ちてくるため、あえて後ろは見ずに前に落ちている栗だけを拾い進めるのだそう。いかに忙しいかが伝わってきます。
それにしても、なぜそんなに多忙を極めるのかというと、栗は鮮度が命だから。
「栗菓子の肝は新鮮な栗を使うこと。それが栗菓子特有の風味につながっています。甘さは砂糖で作り出せますが、風味は人工的には出せません。なので、栗菓子屋さんは栗農家に『拾ったらすぐに持ってきてください』と言っているんです(小林さん)」
実際に栗菓子屋での勤務経験がある荒井さんも「新鮮な栗の色は数日経ったものと全然違う」と言います。例えば、小布施堂の季節限定栗の点心「朱雀」の美しい黄色は栗が新鮮だからこそ。砂糖を使用していない分、すぐに悪くなってしまいますが、だからこそ行列をつくってでもその場で味わいたいものなのです。
ちなみに「移住者あるある」を尋ねると、「小布施は狭いからこその一体感がある」と荒井さん。
「小布施は僕が通っていた小・中学校の学区に町が収まるくらい小さく、どの地区の出身か話すだけで誰かがわかって、小さなコミュニティーが町になっている感覚があります。それは僕にとってすごく居心地がよく住みやすいですね(荒井さん)」
そんな荒井さんに対し、地元出身の平松さんも「小布施の人は人懐こくて、新しい環境を面白がって受け入れる雰囲気があるから、やっぱり小布施は人が魅力かな」と話します。
「失敗を恐れず先陣を切って新しい物事に取り組むのも、小布施の人ならでは。修景事業や若者会議、最近は妖怪夜会やスラックラインなどもそうですよね。そんな面白いことに取り組みながら過ごせるところがいいのかな(平松さん)」
栗農家を続けていくこと
最後に皆さんの今後の展望をお聞きしました。
「小布施の栗はまちのイメージと一蓮托生。県外に出店して栗を買ってくれる人は、必ず小布施ファンの人です。だから、栗農家がいい加減な栽培をすると小布施もダメになる、恥ずかしくない商品を出さなければいけないという使命があります。それに、今は栗農家同士の情報交流がないので、これからは小布施の栗の方向性を決めるようなものがあればいいのかな。それがおそらく、ずっと小布施が良い栗をつくり続けられるひとつの助けになる気はしています(小林さん)」
荒井さんも県外で小布施と栗のつながりを知り、産地としてのイメージを確立させたいと言います。
「先日、ビッグサイトの農業エキスポに行き、丹波栗の生産者から『小布施の環境はうらやましい。これからは小布施が栗の産地として引っ張っていってもらわないと』と言われました。だから『小布施は栗』というイメージを一層確立させ、産地としてアピールしていかないと、と感じましたね(荒井さん)」
平松さんも「栗は作り続けないといけない」と話します。そのためにも見据えているのは、小布施栗のブランド化です。
「今は『関サバ』など地名を冠した商品名を商標登録できるので、町内の農家の意見も聞きながら、それを確立できないかなと思っています。それに、これからは例えば栗の残渣を土に還元するなど、ストーリー性も大切になる時代。息の長い話ですが小布施には素地はあるので、組合をつくってそんなことができれば面白いな。受け皿がない今の状態はもったいない。そして、いずれは年の半分を休んで南国でゆっくりと過ごすことが目標だね(笑)(平松さん)」
先取性が高く来訪者を歓迎し、相手から学ぶ姿勢が根付いていると言われる小布施。真面目でユニーク、そして独創的な発想も地元愛も感じた栗農家対談から、そんな小布施の人々の気質が伝わってきました。