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【あいうえおぶせ】 お号 大宮透

大宮透。群馬県、高崎市出身。27歳。
いまではすっかりまちの〝顔〟の一人となり、まちが絡む様々なプロジェクトをリードする大宮さん。

しかし、7年前に偶然このまちを訪れるまで、小布施とは縁もゆかりもない人生を送っていました。
そんな彼と、小布施町との出会い、このまちに移住を決意した理由、「よそ者」である彼のまちに対する想いとは。

名前だけはよく聞くけれど、一体何者なのかわからない、そんな大宮さんを徹底解剖!これを読めば大宮透の謎が解ける、かも?


偶然訪れたまちが気に入って

大宮透さんが初めて小布施を訪れたのは2009年、大学3年生の時。日本とアメリカの学生交流団体「日米学生会議」の参加者のひとりとしての訪問でした。

この時に、地元の人とふれ合う楽しさを覚えたと同時に「人口一万人のまちでもこれだけのことができる」ということに感動し「小布施のことをもっと知りたい」と思うようになったという大宮さん。
1年間かけて4回ほどこのまちを訪れ、そこで得た経験を翌年の日米学生会議で発表しました。

そんな学生生活を送り、卒業も間近に控えた2011年、東日本大震災が発生。すぐに都市計画を専門とする恩師と被災地の陸前高田に赴き、現状を目にしたことで「これは勉強どころではないな」と現地に腰を据え、その後1年半は調査業務や復興活動に携わりました。

そして、企業から支援金を集めて現地の人とコミュニティカフェを作るようなプロジェクトを立ち上げる中で、次第に「自分はこういう仕事がやりたい」と思うようになったと言います。

とはいえ、当時はどんな場所で働けばこの仕事ができるかはわからなかった大宮さんのもとに、2012年初頭、突然、小布施の市村町長から電話が。

それは、2009年の日米学生会議後に「若者を集めて日本版ダボス会議のようなものをやりたい」と話していた町長の夢に向けての相談でした。
「もしその会議をやることになったら手伝ってほしいと以前に町長から言われていたんですが、『実現しそうだから2カ月に1回くらい小布施に来て手伝ってくれないか』と言われたんです」

こうして久しぶりに小布施を訪れた大宮さん。これが、今や全国から情熱をもった若者が小布施に集まる一大イベントとなった「小布施若者会議」と大宮さんとの関わりの始まりです。

行政も民間も大学生もごちゃまぜの面白さ

しかし、開催の半年前にもかかわらず、プログラムがまったく決まっていなかった「小布施若者会議」。
当初2カ月に1度の予定だった訪問回数は最終的に2週間に1度となり、若手メンバーと試行錯誤しながら、プログラムを作っていきました。

最後は寝る間もないほど追い込まれて、第一回の会議を「なんとか」終了したのだとか。そんな中でもゼロからコンセプトを作る行政のプロジェクトに対して、行政も民間も町外の大学生もごちゃまぜになって議論をする面白さを小布施に感じたそうです。そして、次第にこのまちに対して熱が出てきたと言います。

「せっかく若者会議で多くの若者が小布施に来てまちのことも好きになってくれたのに、会議後に彼らをどう巻き込むのかについてはほとんどノープランでした。それに、他の運営メンバーは、会議後に関わり続けることには消極的だった。でも、僕自身はこの盛り上がりをどう次につなげていけるのかに興味があったんです。だから、この動きをより大きなものにしていきたい、そして、やるからには中途半端じゃダメだと思って、小布施への移住を決めました

こうして、誰に頼まれるでもなく本人曰く「謎の使命感(笑)」をもって小布施に移住。
ちょうど小布施に根ざして研究ができる人材を探していた町長室隣りの法政大学・ 小布施町地域創造研究所(現「慶應SDM・小布施町ソーシャルデザインセンター」)の研究員として活動を開始しました。

徐々に深まった周囲との関係性

現在は、政策研究員としてまちの課題を見つめて政策を作ったり、地域活性化のサポートしたり、若者会議のような企画のコンセプトやプログラムを作って、そのために国や企業から予算を引っ張ってきたり…が大宮さんの主な仕事。

とはいえ、移住1年目はまちからの給料だけでは生活できなかったため、他の自治体の仕事も少なからずしていたそう。
結果、県外への出張も多く、役場内では「大宮は本当に仕事をしているのか?」と不審がられたのだとか。

「そりゃそうですよね。当時は目に見える形でのプロジェクトや地域への貢献もほとんどなかったわけですし、何の実績もなく入ってきた20代の若者なんて信用できるはずもない。だから孤独なところもあって最初は苦しかったですし、だからこそ早くわかりやすい形で結果を残さないと、と思っていました」

それでも、しっかり周囲と話をすると少しずつ受け入れられ、地域の若者たちとも次第に仲良くなっていった大宮さん。そして、市村町長の魅力にもより一層惹かれていったと言います。

「町長は徹底的に現場主義で、本当の意味でのイノベーターです。話しているといつもハッとさせられて頭がやわらかくなって、見えていなかった大切なことも見えてくるんです」

今年の大宮透とは そして「大宮タイム」の謎

そんな大宮さんに今のやりがいを尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「おかげさまで仕事で海外にいく機会も増えて、小布施というローカルな場所に住みながら都会や世界を行き来できる今の生活が気に入っています。こういう生活ができるのも全て小布施のおかげで、場所のパワーに支えられています」  

では、大宮さんにとって「小布施」とは。

「骨を埋めるかはわからないけれど、一生関わり続けたい、愛着のある大好きなまちです。例えば、まちを歩くだけで顔なじみに会えるとか、空き家に新しい息吹が生まれていることがわかるとか、町内のことが手に取るようにわかる規模感が好きです。それに、小布施は『人を育ててくれるまち』だと思うんです。経験の少ない若者にも機会を与えてくれて、本気度さえあれば、とことん向き合ってくれる人も多い。一方で、結果に対してはとてもシビアな側面もある。若者が成長できる環境があるからこそ、まだまだ住み続けたいと思える場所です」 

「石の上にも3年」という期間を経て、小布施に移住して4年目に突入した大宮さん。その生活はやっと板についてきた感じがしているそうで、今年はまた新たな発展がありそうな予感。

最後に「打ち合わせ時間には大体遅れる」という大宮さんに、その「大宮タイム」の謎について尋ねました。

「よくないことだと思いつつ〝今〟に一生懸命になって次のことを忘れてしまうんですよね…。それで、お互いに気持ちよく話し終わって時計を見ると『またやってしまった!』というのがいつものパターンです」

でも、今までの反省を踏まえ、今年は半年先までの計画表を作っているので「だいぶいい感じ」だと言った先からまた、しばらく連絡がとれなくなってしまった大宮さん。今後も被害者は増えそうな予感です(笑)。

そんなマイペースなところも含め、みんなから頼られ、愛される大宮さんの活躍に今後も期待しましょう!

大宮 透(Toru Omiya)
1988年、群馬県高崎市出身。東京大学工学部都市工学科卒業、同大学院工学系研究科修了。2009年、日米学生会議で小布施を初訪問。2012年、第1回小布施若者会議運営に参画。その後、小布施に移住。現在、慶應SDM・小布施町ソーシャルデザインセンター研究員。

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